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福岡高等裁判所 昭和57年(う)304号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人杉本については、弁護人吉永普二雄が提出した控訴趣意書に、被告人横山については、弁護人岩城邦治、同岩城和代、同村井正昭が連名で、被告人横山が単独でそれぞれ提出した各控訴趣意書に記載されているとおりであり、これらに対する答弁は検察官橋本昮が提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

第一控訴趣意中被告人杉本の弁護人並びに被告人横山及び同被告人の弁護人らの強盗殺人に関する事実誤認の論旨について

一(一)  被告人杉本の弁護人の所論は次のとおりであり、これらの事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

(1) 原判決は強取金員を約九五万円と認定しているが、奪取したのは約七五万円にすぎず、右金員中二〇万円は被告人杉本とは関係なく、被告人横山が被害者から任意の提出を受けて取得したものであり、右は、金員奪取の経緯、時期及び被害者が被告人横山に交付した二〇万円の趣旨についての判断を誤った結果事実を誤認したものである。

(2) 原判決は、犯行の動機に関し、被告人両名とも当座の生活に困っていなかった旨判示するとともに、あくせく働くのがいやになり安易な方法で大金を掴み、借金を一時に返済し、安楽に遊び回れる生活を送りたいと願望するようになり、そのためついには、被告人両名が組んで一攫千金を狙った完全犯罪を敢行しようと企図したと認定するとともに、あれこれ検討した末被害者に目星をつけた旨認定しているだけで、本件犯行の発案者が誰れであるかという重要な情状に関する争点について判断を示していない。しかしながら、被告人横山については、同人が経営していたスナック「ピラニア」の営業がふるわず酒類の仕入代金の支払いを滞らせるほど経済的に困っていたもので、このことが同被告人を本件犯行にかりたたせたのであり、この点原判決には事実の誤認がある。すなわち、被告人両名は、昭和五四年一〇月初めころ、スナック「散歩道」のホステスA子と関係のあった歯科医師から、その関係を暴露すると脅して金員を喝取することを計画しその準備をしたが、被告人杉本において、暴力団の幹部が同女の元愛人であったことを知ったことなどから右計画を断念し、同月一〇日ごろ、計画の実行を迫る被告人横山に、「あの話はこまい」といって実行する意思のないことを伝えたところ横山から「大きな話なら乗るね」といわれ被告人杉本も了承し、その一、二日後被告人横山が被害者から女性関係を種に金員を喝取する計画を言い出したのである。そして被告人横山は、右恐喝の口実にする被害者の女性関係を見出せず、かつ、被害者の性格や同人の暴力団との交際関係から被害者が脅しにのるような人物でないことを熟知し、被害者に手を出した場合、ただではすまないことをも承知していたので、金員が取れても取れなくても被害者を殺害する意思で、被告人杉本の意思と関係なく本件強盗殺人の犯行を決意し、一〇月中旬ころから被害者と連絡をとり、小柳ルミ子を紹介する旨伝えるとともに、同月二九日までに、紹介の日を一一月四日と指定したものであり、もともとは被害者の弱味(女性問題)につけこんだ恐喝の計画から、本件の強盗殺人に変ったもので、その発案者は被告人横山であって、被告人杉本はその主導者ではない。

(3) 原判決は、殺害の方法として、被告人横山において寝袋の上から被害者の頸部付近を両手で強く締めたものの、同人が足を動かしたため、いったんは締めるのをやめ、被告人杉本において被害者の上に馬乗りとなり動かないようにしたのち、被告人横山において再度右部分を同様に強く締めつけた、と判示しているが、右は信用性のない被告人横山の供述を大筋において採用して事実を誤認したもので、真実は、被告人杉本がトイレに入っている間に、被告人横山において、濡れたタオルをもって被害者の鼻口を押えて殺害したものである。

(二)  被告人横山及び同被告人の弁護人らの事実誤認に関する所論は次のとおりであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

(1) 原判決は、被害者の左側胸部の刺切創は、被告人横山が加えたものであると判断し、次のとおり判示している。すなわち、被告人横山において、「ピラニア」店内に入って来た被害者に酒をすすめてしばらくの間同人と歓談を続け、その際歌手の小柳ルミ子を紹介してもらえるものと思いこんでいた被害者から右小柳のマネージャーへ渡す謝礼分として現金二〇万円を預ってこれを保管しながら被告人杉本が現われるのを待ち受け、ほどなくして同被告人が同店に現われるや、同被告人は直ちに被告人横山から散弾銃を受け取ってこれに実包を装てんする仕草をし、被告人横山は、被害者が逃げられないよう同店出入口のシャッターを閉めるとともに、前記あいくちを手にしてカウンター内から出て同人の背後に回り、被告人両名とも被害者に近づき、意外な事態にあっけにとられて「横山君何のまねかね」と問いかけた被害者に対し、被告人杉本において両手に持った右散弾銃の銃口を被害者に向け「やかましい、ぐずぐず言うな、ぶっぱなすぞ、服をぬげ」などと怒号して同人を脅迫し、同人をして所持していた現金約七五万円をカウンターの上に差し出させる一方、被告人横山において保管中の前記二〇万円を取り出して右現金と一緒にしたうえ、やむなく上半身裸の姿となったが未だ全裸となることをしぶっていた同人に対し、更に被告人杉本において「全部脱がんか」などと怒号して脅迫したところ、同人が不服そうに「こんなことをしてただですむと思うな」などと文句を言ったのに対し、被告人杉本においては「ぶつぶつ言ったらはじくぞ」などと申し向けて脅迫し、被告人横山においては被告人杉本の方を向いて立っていた同人の背後から同人の左斜め後方に近づき、右あいくちを右手に順手に構えてその峰の部分でズボンを脱ごうとして前かがみになった同人の首付近を軽く二、三回たたきながら「冗談でしよるんじゃないぞ」と申し向けたところ、同人が右あいくちを払いのけようとして左手を上げたため、その瞬間、同被告人において同人の右態度に激昂し、やにわに右手に順手に構えた右あいくちを右斜め上方から左斜め下方に振り下して同人の左脇腹付近を切りつけ、同人に対し第八肋間を切断し左肺下葉に達する深さ約三ないし四センチメートル、長さ約一五センチメートルの左側胸部刺切創の傷害を負わせた。以上のとおり認定している。

しかしながら、被害者にあいくちで切りつけ右のごとき刺切創を負わせたのは被告人杉本であり、右傷害が加えられたとき被告人横山はカウンターの中にいたのであって、これと異なる原判決の前記認定は証拠の取捨選択をあやまり、事実を誤認したものである。すなわち、被告人横山があいくちをもってカウンターから出た旨の被告人杉本の供述は不自然で信用性がないばかりでなく、右創傷の部位、状況永田武明作成の鑑定書及び同人の証言によると、右創傷は、加害者が被害者の左後方から切りつけたものというべきところ、被告人横山が被害者の左後方に位置していたとの証拠はなく、原判決が認定のよりどころとした被告人杉本の供述をもってしても被告人横山は被害者の左斜前に位置していたというのであって、右の位置から切りつけても本件創傷はできがたいのであるから同被告人のこの点に関する供述は右鑑定の結果等に照らして措信すべきでないことが明らかである。しかるに、原判決は杉本供述とも異なり、何らの証拠にもよらずに被告人横山を被害者の背後に立たせているのである。

また、原判決は、前示のとおり、被害者をして現金約七五万円をカウンターの上に差し出させる一方、被告人横山において保管中の二〇万円を取り出して右七五万円と一緒にした、と認定しているが、被害者より受領した二〇万円はカウンターの背後の壁面に設置されている洋酒棚から出したものであって、カウンターの中にいてはじめて可能な行為であり、この点からも被告人横山がカウンターの中にいたと認めるべきであるのに、他方ではカウンターの外で被害者の背後に立っていたと認定し、同時に成りたたない二つの事実の存在をともに認める誤りをおかしているのである。そして被告人横山のカウンターの中にいた旨の供述内容は、それ自体合理性があるとともに鑑定結果とも一致し、かつ犯行後被告人横山がB子に打ち明けた犯行内容とも一致しているのであって、被告人横山の供述こそ信用できるのに、信用できない被告人杉本の供述を措信してなした前記認定は誤りであること明らかである。

(2) 本件犯行の発案者は被告人杉本であって被告人横山ではない。被害者を誘い出して脅迫し、家族に金員を用意させ、これを車に積んでホテルに預けさせ、車ごと受取ったうえ車を福岡空港に放置し、被害者が大金をもって失踪したように見せかけ、犯罪が発覚しないよう被害者を殺害してその死体を解体し海に捨てるという本件犯行の大筋は、被告人杉本において発案のうえ計画されたものであり、被告人横山は納得のうえこれに加担したが、犯行は被告人杉本の主導のもとに行われ、被告人横山は同杉本の指示に従って行動したにすぎないものである。右は量刑上考慮すべき重要な事実であって、原判決にはこの点に関する事実認定の誤りがある。

というのである。

二  そこで、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取り調べの結果をも参酌して以下順次検討する。

(一)  本件強取の対象金員について

所論は、被告人らが本件犯行により被害者から強取した金員は約七五万円であり、二〇万円はその対象にはならない旨主張するが、本件犯行の罪質並びに犯情に照らすと、強取した金員に二〇万円の差があったとしても、責任の軽重に差異を生ずるものではなく、たとえこの点に誤認があったとしても判決に影響を及ぼすものでないことが明らかであるから、所論は主張自体理由がないといわなければならない。

なお、関係証拠によると、原判示のとおり、昭和五四年一一月四日午後九時過ぎころ、被害者がスナック「ピラニア」に来た直後、被告人横山において、小柳ルミ子を紹介してもらえるものと思い込んでいた同人から、同女のマネージャーに渡す謝礼金として二〇万円を預り、これを保管したことが認められるが、被害者がこれを交付した趣旨は右のとおりであり、かつ、同人は間もなく同女が来店するものと信じてそのまま待機していたのであり、従って右金員はその交付のもとになった事実が虚構のものであることがその場で判明することにより直ちに取り戻される性質のものであって、かかる金員に対する占有はなお被害者に残っていたというべきであり、被害者において反抗を抑圧されその取り戻しを断念した時点にその占有が完全に奪われたものというべきであって、暴行、脅迫の前に任意の交付があったという外形事実だけから、これを奪取の対象外であるということはできず、原判示の暴行、脅迫により究極的に右金員を奪ったことは明らかであって、これをカウンターの上においた時期が何時であったかはその犯罪の成否に影響を及ぼすものではない。

(二)  本件犯行の動機及び発案者について

被告人杉本の弁護人は、被告人横山が当座の生活に困っていなかったとする原判決の認定には誤りがあるという。

しかしながら、犯行が計画された昭和五四年一〇月中旬ころ、被告人横山が経営しているスナック「ピラニア」の営業が不振であったわけではなく、開店に際し借り入れた営業資金に無理はなく、その返済も順調になされており、従業員に対する給与の未払も見られず、昭和五四年六、七月ころは一万円の日掛貯金もできるほどで、酒類の仕入代金が昭和五四年一一月末現在で六七万円ほど残っていたが、これとて取り立てを受けたり酒類納入の差し止めを受けていたというわけでもなく、いわば通常の流動債務であって、被告人横山が経済的に困窮していたことを認めるに足る証拠は見当らない。

また、所論は、原判決が、本件犯行の発案者が被告人らのいずれであるかを明示していないことを批難するが、謀議形成過程のすべてを詳細に判示しなければ罪となるべき事実の摘示としては不十分で違法になる、というものではない。共犯者相互間の責任の軽重は犯罪全般に対する加功の程度を総合考察してきめられるべきもので、犯罪の発案者が常に責任が重いとは限らず、これを確定し判示しなければ責任の度合を量れないというものではないから、これを判文上明示しなかったからといって違法視したり批難するのは当らない。

なお所論にかんがみ、被告人両名のいずれが本件犯行を発案したかについて付言するに、この点に関する被告人杉本の供述は次のとおりである。

昭和五四年一〇月初ごろ、被告人杉本から同横山に対し、スナック「散歩道」のホステス、サッチャンことA子と関係のあった歯科医師から、これを暴露すると脅して金員を喝取しようとの犯行をもちかけ、被告人横山もこれに賛成し、A子の住居付近に出かけて証拠となる写真を撮影しその準備をしたが、結局、被告人杉本において、右の恐喝を実行した場合、同女に知れるし、また同女には元愛人関係にあった暴力団幹部がいることを知ったことなどからその計画の実行を思い止まり、被告人横山に対しこの話は小さいからやめる旨告げた。しかし被告人横山は、なおあきらめきれず、十月一五、六日ころ小倉北区中津口にある紫水会館内のサウナ「フィンランド」において、被告人杉本に対し「大きな金になる一発勝負をしてみないか」と誘い、被告人杉本もこれに同調したところ、同月一六、七日ころ、右同所で、被告人横山が津田薫がつきあっている女の子をみつけ、それを種にして同人から金をまきあげる話を持ち出し、被告人杉本もこれに賛成した。しかしその当時津田を殺す計画はなく、本件犯行直前まで、被害者の弱味につけこんで金員を取ることを前提に、脅しの種になる女性を告被人横山において捜したうえ同被告人においてうまく話をして金を出させるということであったが、その後、もし女の子を捜し出すことができない場合には、本件犯行のごとく、脅迫して金を出させたうえ同人を殺害しこれを解体して海へすてるという話にまで発展したのであって、本件犯行はもともと被告人横山において発案したものである、というのである。

これに対し、被告人横山は、被告人杉本に誘われA子と関係のあった歯科医師から金員を喝取するため、その証拠となる写真を撮影し準備したことについては、その大筋において被告人杉本と同旨の供述をしているが、津田薫に対する本件犯行計画の発案経過については被告人杉本と全く異る供述をしている。すなわち、歯科医師から金を喝取する話が進んでいた同月中旬ごろ、サウナ「フィンランド」で、被告人杉本から、小倉北区紺屋町にある丸源二六番の三階にあるスナック「プチランバン」に津田を連れ込み、店に監禁して家に電話させ金を一億か二億脅し取る、との話がもちかけられ、金をとっても津田は暴力団員とのつきあいがあるのであとでどのようなことをされるかわからないというと、被告人杉本は殺して海に捨てるといい、その後さらに、津田を殺害して死体を解体し、鹿児島に運んで瀬渡し船に乗せ、船頭を酒に酔わせて、船の後方から海に捨てるなどと説明し、被告人横山も欲に目がくらみ、杉本の話のようであれば警察にもわからずにすむと考えてこれに同調し、一〇月下旬から同月末にかけて相談のうえ、小柳ルミ子を紹介するとだまして「ピラニア」に誘いこむなどの本件犯行の計画を練りあげたのであって、本件犯行はもともと被告人杉本がこれを発案しかつ主導したものである、というのである。このように、被告人両名の供述は全く異なり、これに関連する細部の供述について比較検討しても大部分において相違しているのであって、そのいずれが真実を語っているのかこれを裏付ける確かな証拠はなく、かつ、各供述自体の矛盾や合理性から分析検討してもその結論は弱い推論にすぎず、それをもっていずれが正しいと断定することはできない。

ただ、原審証人B子は、昭和五四年一〇月二一日、二二日の両日一泊二日の日程で、被告人横山と大分の塚野温泉に旅行した際、同被告人から、同年一一月の初めころ、被告人杉本と一緒に鹿児島に物を運んだら億の金が入る、失敗すれば一〇年は覚悟しないといけないだろう、といわれ、又A子の交際相手の歯科医師を脅して金を取るということで写真を撮ったということも聞いていたが、右旅行から帰った翌日、この件はやめたということを聞いた旨証言しているのであって、右証言に照らすと、すでに、同年一〇月二〇日ころまでには、被告人両名間に津田殺害計画が合意されていたことが認められ、これと抵触する前記杉本供述の信用性は疑わしいといわなければならない。

しかし、いずれが本件の死体損壊・遺棄をともなう強盗殺人の計画を最初に言い出したとしても、被告人両名はそれ以前から歯科医師からの恐喝をもくろんでその準備をしていたものであり、これに代る計画としての本件犯行について、十分納得してこれに積極的に加担したことは被告人両名とも認めているのであって、両者の刑責の軽重は、その後の犯行遂行状況を考察して判断するのが相当と考えられる。

(三)  被害者に創傷を加えた行為者について、

所論は、被告人横山が被害者の左斜め後方の位置から被害者を切りつけたとする原判決の認定は証拠に基づかない認定であるという。

ところで、医師永田武明作成の昭和五五年三月二〇日付鑑定書及び原審第七回公判廷における同人の証言によると、被害者の左胸部の創傷は、加害者の位置の点を一応除いて考察すると、兇器の刃部が、被害者が左側を向いている状態で、刺入時に垂直線に対し約三〇度の角度で左後ろ上方から右前下方に向って切り下げられた行為により形成されていることが認められるが、同証人は加害者の位置につき、被害者の左後方付近に位置していたと思われるが、これはあくまで示唆にすぎず、その位置であるとは断定できない旨述べているのである。

要は、加害者が右のごとき創傷を加えることができる位置にいたかどうかが問題となるところ、《証拠省略》を総合すると、被告人杉本がスナック「ピラニア」内において、被告人横山から散弾銃を受け取りこれを構えて出入口方向から奥の方の客席に座っていた被害者に近づき、被告人横山もあいくちを手にし、カウンターの中から奥の方をまわってカウンターの外に出て背後から被害者に近づき、被告人杉本において「やかましい、ぐずぐず言うな、ぶっぱなすぞ、服を脱げ」などと怒号して同人を脅迫し、上半身裸になった同人に、さらに「全部脱がんか」と言って脅迫し、しぶしぶズボンを脱ごうとして前かがみになった同人に対し、被告人横山において同人の左横からあいくちの峯の方で同人の左首筋付近を二、三回軽くたたき「冗談でしよるんじゃないぞ」と言ったところ、同人が右あいくちを払いのけようとして左手をふりあげたため、その瞬間、同被告人において、同人の右態度に激昂して、あいくちを順手に構えて、右斜め上方から左斜め下方に振り下して同人の左脇腹付近に切りつけ、創傷を負わせたことが認められる。

なるほど所論指摘のとおり、被告人杉本は、検察官(昭和五五年四月一二日付)や司法警察員(同月三日付)に対し、被告人横山はあいくちで被害者の左首筋付近を二、三回軽くたたく前に、被害者の「左斜め前」に立った旨述べているが、被告人杉本が犯行現場の「ピラニア」店内において、犯行の模様を再現して指示説明した内容を記録した前記検証調書の写真及び指示地点の位置関係図をみると、被告人横山の位置が、被害者より出入口に近い、すなわち被告人杉本の位置に近い方に出て来た位置にあるところから、前記のとおり捜査官に対し左斜め前にまわって立ったように供述したものと推認されるが、右検証調書によると、被害者が身体をややカウンター方向に向けていたので、被告人横山は同人のほぼ左横ないし直横からごくわずか前に位置していたことが明らかであって、その位置において被告人横山からみて、右斜め上から左斜め下にあいくちを振り降すと、本件の創傷の形成ができると認められる。従って原判決がその位置を被害者の左斜め後方と判示したことは適切ではないが、被告人横山が切りつけたとする被告人杉本の供述が鑑定結果と符合し、信用できることは原判示のとおりであり、これと抵触する被告人横山の供述が信用できない理由は後記のとおりである。

また、所論は、原判決が、一方において、被告人横山があいくちを手にしカウンター内から出て被害者の背後に回った、と認定しながら、他方で、被告人横山が被害者から預り保管していた現金二〇万円をカウンターの上においたと認定し、同時に存在することのできない二つの事実の存在を認定したと批難し、この点からも、同被告人がカウンターから出て被害者を切りつけたという事実認定は誤りであると主張する。

この点、原判決は、前示のとおり、被告人横山が、あいくちを手にしてカウンターから出て同人の背後にまわり、被告人両名とも津田に近づき、(中略)被告人杉本において散弾銃の銃口を右津田に向け、「やかましい、ぐずぐずいうな、ぶっぱなすぞ、服をぬげ」などと怒号して同人を脅迫し、同人をして所持していた現金約七五万円をカウンターの上に差し出させる一方、被告人横山において保管中の二〇万円を取り出して右現金と一緒にした、と認定し、被告人横山がカウンターを出たあと右二〇万円を取り出してカウンターの上に置いた、と受けとれる判示をしている。ところで、カウンターの上に置かれた時期についてはともかく、右二〇万円がカウンター内側背後に設置されている洋酒棚から取り出されたものであることは、被告人両名とも同様に供述するところであり、従って被告人横山が一旦カウンターから出たあとこれを取り出したとすれば、再びカウンター内に戻らねば不可能なことで、かつ、右金員を取り出すためだけに戻ることはいかにも不自然であるとともに、そのような行動をしたとの証拠はなく、所論指摘の疑問が当然に出てくる。

しかしながら、被告人杉本が最初銃でおどして現金約七五万円や所持品などをカウンターのうえに出させ、被告人横山が二〇万円をカウンターの上に出してこれと一緒にしたとの認定は、被告人横山の供述に基づいてなされていると思われるところ、この点について、被告人杉本は、時計や指輸などの被害者の所持品を見たのは、被告人横山が前記洋酒棚の下からこれを取り出してカウンターの上においたときであり、それは被害者の傷の手当をした後のことであり、現金二〇万円もその際同被告人が右洋酒棚の引出しから取り出してカウンターの上においたもので、同被告人がいうように、最初に銃で脅した時に出したものではない、なお時計や指輸は、血で汚れた被害者の身体を拭いた時これを取りはずしたものであると述べている。

被告人両名の右各供述のいずれが真実を述べたものか、これを裏付ける客観的な証拠がないだけに、そのいずれとも断定しがたい。

しかして、被害者をあいくちで切りつけた行為者が誰かという点に関する被告人横山の供述が不自然で合理性を欠き信用できないことは、次の点を付加するほか、原判決がその補足説明において詳細に説明しているとおりであり、記録を精査してもその認定判断に誤りは認められない。

すなわち前記鑑定書及び原審証人永田武明の前記証言によると、被害者の創傷は、同人が左手を上げ左腋下が開いた状態で切りつけなければ出来得ないものであるところ、被害者が左手をあげ、加害者たるべき被告人杉本があいくちを上方にふりあげる行為がなされた場合には、あいくちをつきつけて単に脅している状態より、なにかをきっかけにより緊迫した状態があらわれるというべきであり、かつ右の動作がなされるところから、加害行為が被告人横山の目前で行われたというのであるから、たとへ時計など被害者の持ちものに目を奪われていたと仮定しても、より緊迫した状況を感じ、それらの動作が視野に入ってしかるべきと考えられるのに、この点全く目に入らなかったという被告人横山の供述は極めて不自然で信用し難いものといわなければならない。

なお、被告人横山が昭和五五年四月八日、犯行現場で犯行の状況を再現して指示説明した、同年四月二三日付検証調書によると、そこに現われた被告人杉本があいくちをふりあげている状態の指示説明でも被害者は左手を上にあげてはおらず、鑑定結果と符合しないことが明らかである。

以上要するに、被害者をあいくちで切りつけた行為者についての被告人両名の相対立する供述の真偽は、客観性を有する鑑定書及び永田証言に基づく成傷状況との対比において、被告人杉本の供述がこれと合致し自然かつ合理的で信用できるのに、被告人横山の供述は不自然、不合理な点が多く信用できないとするものである。

しかして、被告人横山があいくちで被害者に切りつけたと認めるべきであることは以上のとおりであるが、そうだとすると、被告人横山がカウンターから出たあと洋酒棚の二〇万円をカウンターに取り出すことはできないのであるから、カウンターから出る前にこれを取り出して置いたとみるべきか、または被告人杉本がいうごとく、あいくちで切りつけた後、その手当をする段階でこれを取り出したとみるべきかのいずれであって、この点原判決の認定は修正されるべきであるが(もちろん、この点の誤認が判決に影響を及ぼすものでない。)、これをもって被告人横山がカウンターの中にいたものとし、あいくちで切りつけたことを否定する根拠とすることはできない。

また、前記原審証人B子の証言と被告人横山の原審及び当審公判廷における供述とを対比して検討すると、被害者の妻が用意した金二〇〇〇万円を奪取することができず、これを断念した時点において、被告人杉本において一応ここでやめて被害者を帰えせば二、三年の刑ですむがどうするかと被告人横山の意見を求めた際、被告人横山において当初の計画どおり殺害しようとの決意を述べたことが認められるのであって、このことは、被告人横山が被害者に創傷を負わせていたことから、同人を帰した場合に予想される後日の報復をおそれ、同人の殺害へとはしらせたあかしともいえるのである。

(四)  被害者殺害の実行行為の手段、方法、行為者について、

被告人杉本の弁護人は、この点の原判決の事実認定には誤りがあり、被告人杉本がトイレに入っている間に被告人横山が濡れタオルで被害者の鼻口を押えて殺害したというのであるが、原判決挙示の関係証拠によると、寝袋に入れた被害者を、まず被告人横山において寝袋の上から同人の頸部付近を両手で強く数十秒絞めつけ、同人が足を動かしたため、いったんは絞めるのを止め、被告人杉本において被害者の上に馬乗りになり動かないようにしたのち、被告人横山において再度右部分を同様に強く数十秒間絞めつけた、との原審の認定は是認できるところであり、この点に関する被告人横山の供述部分のうち右認定に副う部分は、同被告人にとって不利益な事実を認めるものであると同時にその供述内容も具体的かつ詳細で、各行為の推移に特に不自然不合理な点がなく、被告人両名が同人の殺害を確認しあってなした両者の協力関係にも整合するもので信用するに値いし、被告人横山の供述中二度目に被害者の首を絞めつけた丁度そのとき、エルザビル出入口に駐車していた被告人杉本所有のボンゴ車を移動させるよう警察のアナウンスがあったので、絞めるのをやめ階下に降りて右車両を近くの駐車場へ移動し店に戻ってみたら既に被害者が動かなくなっていた旨の供述部分や被告人杉本の所論に副う供述部分がいずれも措信しがたい、その経緯はこの点に関する原判決の事実認定についての補足説明に判示しているとおりであり、記録を精査してもその認定判断に誤りは認められない。

以上の次第で、事実誤認に関する各論旨はいずれも理由がない。

第二控訴趣意中被告人杉本の弁護人、被告人横山及び同被告人の弁護人らの量刑不当の論旨について

被告人杉本の弁護人の所論は、要するに、同被告人が本件犯行において果した役割の程度、同被告人の生育歴や生活態度の中に見られる人間性並びに被害者の冥福を祈り反省悔悟の日々を送っている犯罪後の情状等を考慮すると、同被告人を死刑に処した原判決には、量刑判断にあたり被告人にとって有利な事情を十分斟酌しなかったきらいがあり、重過ぎて不当であるというのであり、また、被告人横山及び同被告人の弁護人らの所論は、要するに、死刑の選択は、これを選択するにつき、ほとんど異論の余地がない程度に極めて情状が悪い例外的事例に限るべきで、人間性の存在が認められ、その回復にともなう人格の改善可能性がある限り、これを適用すべきでないところ、被告人横山の人格形成過程を考察すると、同被告人の中には本来健全な人格と人間性が存在し、本件犯行は、被害者に対する羨望――無意識の反感と、被告人杉本からの強い動機づけによって生じた価値感の瞬間的な動揺や倒錯によって引きおこされたものであり、年が若く生来の悪性を見出すことのできない同被告人に対してはその更生、改善をはかるべきであり、これに同被告人が本件犯行において果した役割が主導的なものではないこと及び被害者の冥福を祈り反省悔悟の毎日を送っている犯罪後の情状等を併せ考えると、同被告人を死刑に処した原判決は重過ぎて不当である、というのである。

そこで記録及び証拠物を精査し、当審における事実取り調べの結果をも参酌し、被告人らをいずれも極刑に処した原判決の量刑の当否について検討する。

死刑が、人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむをえない場合における窮極の刑罰であることにかんがみると、その適用が慎重に行われなければならないことはいうまでもないが、死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性、残虐性、結果の重大性、ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年令、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択も許される、というべきである。(最高裁判所昭和五八年七月八日第二小法廷判決)、

そして、被告人両名が犯した本件強盗殺人、死体遺棄の事案は、次のようなものである。すなわち、被告人両名は、完全犯罪をもくろみ、被害者の選定、被害者をおびき出す方法、犯行の日時場所、脅迫方法、金員の強奪方法、死体の解体、遺棄等の犯行隠ぺい方法などについて綿密な計画を練り上げ、周到な準備をととのえたうえ甘言を弄しておびき寄せた被害者に対し、散弾銃やあいくちを使用して脅迫し、かつあいくちで切りつける暴行を加えて重傷を負わせ、その反抗を抑圧して所持していた現金約九五万円を強奪し、さらに、傷が肺に達しているから帰してくれ、医者を呼んでくれという被害者の必死の哀願をしり目に、絨毬上に血溜りができるほど大量に出血して苦しんでいる被害者を、約一四・五時間もの長時間、適切な医療処置を施すことなく放置して衰弱するにまかせ、その間、被害者に多額の金員を要求し、被害者をして家人に電話をかけさせ、二〇〇〇万円もの多額の現金を用意させてこれを奪取しようとしたが結局失敗し、大金の強奪は断念したものの、さしてしゅん巡することもなく、かねての計画どおり被害者を殺害することにし、必ず帰してやるからなどとあざむき、一縷の望みを抱かせながら、ガムテープで身体を縛り口にもガムテープを貼って声が立てられないようにし、抵抗ができないようにして無情にも頸部を締めて被害者を殺害したうえ、死体をモーテルに運んで首、両下肢を切断してバラバラにし、フェリーに積みこんで海中に投棄し、奪った現金は酒色等に費消したというものである。

そこで、以下量刑事情について検討することにする。

まず犯行の動機について検討するに、被告人杉本は妻と二人で生活し、釣具店を経営していたものであるが、犯行当時、銀行からの借入金や商品の買掛代金など合計約八〇〇万円余の債務を負い、滞った買掛金の一部につき支払の催促を受けていたものの、さしせまった取り立てを受けたり、商品納入の差し止めなどを受けていたわけではなく、店の売上も順調で、釣客を釣場に案内して得る世話料もあって、銀行に対する返済を約定どおり行い、当座の生活に困窮することもなく、むしろ外車を乗り回し、スナック等で酒色にふけるなど、金銭的には余裕のある生活を送り、店の経営に真面目に取り組み、遊興を控えて地道な生活を送るよう心がければ、金銭に困るようなことはなかったのであり、また、被告人横山は、スナック「ピラニア」を経営し、開店資金や営業資金のための借入金及び酒類の買掛代金など約八〇〇万円の負債があったが、右はスナック経営にともなう通常の負債の範囲に属するもので、その営業成績は順調で借入金の返済に滞りはなく、また買掛金のさしせまった取り立てを受けたこともなく、妻も他のスナックで働き、本件犯行前の夏ごろには一万円の日掛貯金ができるほどの余裕があり、店の経営に真面目に取り組みさえすれば、経済的に困るような状況にはなかったのである。すなわち被告人らには、いずれも犯罪を犯し金銭を取得しなければならない特段の理由はなかったのである。しかるに、被告人杉本は従前から繁華街のバーやスナック等で飲酒し遊興にふけることを好み、また被告人横山は前記スナックの経営に努力していたが、昭和五四年夏ごろから被告人杉本と親しく交際するようになり、小さな釣具店を経営するだけでしばしば飲み歩いている同被告人を見てうらやましく思い、そのうちに、店の営業時間中から売上金を持ち出して同被告人と他のスナック等に出かけて遊び回るようになり、そのあげく、二人して、真面目に働くのが嫌になり、急いで返済する必要のない前記負債を一時に返還し、店の経営を拡大し、さらには高級車を購入し、働かずして遊興にふける安楽な生活を送ることを望むようになり、そのために必要な大金を得ようと考えるに至り、その目的のために本件犯行を思い立ったもので、その動機たるや身勝手な利欲以外の何ものでもなく、道義に反し極めて悪質というべきで、酌量の余地は何もない。

そして、本件犯行がとりわけ兇悪とみられるのは、金員奪取の目的を遂げた後、犯跡を隠ぺいするため、被害者を殺害することを最初から謀議し計画していた、ということである。すなわち、昭和五四年一〇月二一日の時点において、被告人横山は、愛人B子に対し、一一月初めころ杉本と一緒に鹿児島にある物を運んだら億の金が入る、もし失敗したら一〇年は覚悟しなければならないだろう、と述べており、C子の検察官に対する供述調書や被告人らの供述と併せて考えると、右は、一一月初めに被害者の死体を鹿児島に搬送し、被告人杉本がかねてより利用していた川内市在住の山崎某の瀬渡し船に乗せ同人の隙を見てこれを海中に投棄することを意味するもので、一〇月二〇日以前の時点で被告人らの間で被害者殺害の謀議がなされていたことが明らかなのである。被害者は、被告人横山が昭和五〇年の末ごろ、スナック「ビーナス」に店長として勤務していた際、客として出入りし知り合った者で、同被告人は被害者方を訪れたり、同人から贈り物を貰ったりしたこともあり、かつ、本件犯行が同被告人の店であることから、同人を脅して金員を強奪しても、同人を生かして帰すかぎり、右犯行が被告人らの犯行であることが直ちに発覚するし、また被害者が暴力団関係者と交際があったところから、いかなる報復を受けるかもはかりしれず、これら犯行の発覚を防止し、報復を封ずるため当初の計画の中で同人の殺害を予謀していたのである。被告人杉本は、かつて交通事故により津田病院に入院し、その経営規模や噂で聞いた被害者の豪遊ぶりから相当の資産や収入があると推測し、被告人横山も前記の被害者との関係から被害者が資産家であることを知っており、被告人らのいずれがその発端において被害者の名前を出したのか、これを確定しがたいが、いずれにしろ、二人して相談を重ね、犯行場所をエルザビル内の「ピラニア」にし、犯行の日時を同ビル内の殆んどの店が休む一一月四日日曜日の午後九時と定め、被害者が芸能人好みであることに乗じ歌手小柳ルミ子を紹介すると甘言を弄しておびき出したうえ、散弾銃とあいくちを用いて脅迫し、同人を縛り上げて監禁するとともに、金銭を要求して家族に電話させ、大金を用意させて被害者方の車のトランクに入れさせ、ホテルの駐車場に置かせて車の鍵をフロントに預けさせたうえ、その鍵を受けとって車ごと奪取し、その後被害者を右店舗内で殺害し、死体をスチール製ロッカーに入れ、被告人横山の妹や愛人が住んでいるDコーポ六〇一号室に、同女らが仕事に出かけた後運び込み風呂場でこれを解体し、自動車で鹿児島まで運んであらかじめ手配して借り切った瀬渡し船に積み込み、海上で船長の目を盗んでこれを投棄し、他方奪った被害者の車を福岡空港付近に乗り捨て、あたかも被害者が大金を持って失踪したように装うことにするなど、綿密な計画を立てたのである。そして、右計画に基づき、被告人横山が被害者に連絡をして右日時に「ピラニア」に来ることを約束させるとともに、B子をして解体場所たるDコーポ六〇一号室の合鍵をつくらせてこれを受けとり、被告人杉本において瀬渡し船の手配をし、また二人して、被害者を縛ったり、その死体を搬出し解体する用具として竹割鉈二本、金切り鋸とその替刃の外、ガムテープ、ゴム手袋、軍手、針金、ポリバケツ、棒たわし、洗剤、パイプクリーナー、タオル、ガーゼ、サラシ、ポリ袋、スチール製ロッカー等を購入し、車に積み込んだり、あるいは散弾銃やあいくちとともに予め「ピラニア」の店内に運び込むなどして、周到なる事前の準備を整えているのである。右計画は、用意された二〇〇〇万円をホテルに持参する方法につき、被害者が家族に電話した際、被告人らの指示どおりにしなかったといって、ホテルや持参する方法などを変更したり、また死体解体を急ぐあまり解体場所をモーテルの風呂場に変更したり、死体の海上投棄につき鹿児島方面がしけで船が出港できないところから、松山港行きのフェリーに積み込んで途中海中に投棄することに変更するなどし、結局大金強奪に失敗したものの、おおむね計画どおり犯行を実行したのである。

以上のように、本件犯行は極めて計画性の強いものであり、完全犯罪をもくろんでその当初の計画の中で被害者の殺害が予定されていたものであって、それは、到底天人ともに許すことのできない非道なものといわなければならない。

次に殺害等の犯行態様につき検討するに、被告人らは、被害者を「ピラニア」店内におびき出した後、店のシャッターを降して被害者が外に出られないようにするとともに外から気取られないようにし、被告人杉本が店の出入口の方向から散弾銃の銃口を被害者につきつけて脅し、着衣を脱ぐよう要求し、被告人横山もあいくちをもって店の奥の方からカウンターの外に出て背後から被害者に近づき、同人の左横から、上半身裸になり、さらにしぶしぶズボンを脱いでいた被害者の首筋をあいくちの峯で軽くたたき冗談でしているんじゃないぞといって脅したところ、同人が腹を立て左手でこれを払ったのでこれに激昂し、(なお、被害者は、信頼していた被告人横山から裏切られるとともに、着衣特に下半身の着衣まで脱かされるという屈辱感から腹を立てるとともに、反面、被告人横山がヴィーナスの店長をしていたころ、同被告人を可愛いがってやったという気持と気安さから、右のごとく横山の手を払ってささやかな抗議の意思を表したものと思われる)右あいくちで同人の左脇腹に切りつけ、左肺下葉に達する深さ約三ないし四センチメートル、長さ約一五センチメートルの重傷を負わせたのである。そして、傷が肺まで達しているから帰してくれ、医者を呼んでくれ、と哀願するのを聞き入れず、絨毯の上に血が溜るほど多量に出血しているのに、タオルを当てさらしでまく程度の手当をしたのみで適切な医療措置を講ぜず、あくまで金員奪取の目的を遂げんものと、翌日の正午過ぎまで、約一四時間余の長い間、同人が衰弱するにまかせて放置し、この間妻に電話をかけさせて大金を持参するよう指示させ、これが奪取に失敗するや、被告人杉本において、ここでやめれば二・三年ですむがどうかするか、と被告人横山の意向を打診し、同被告人が計画どおり殺害する旨の意見を述べるや、あれこれしゅん巡することなく二人して同人を殺害することを確認し、「助けてくれよ、助けてくれよ」、と懇願する同人に、家の近くまで連れて行って帰してやるから言うとおりにするようにと言ってだまし、一縷の望みをいだかせながら、同人の身体を用意していたガムテープで縛り上げ、口にもこれをまいて声が立てられないようにしたうえ、二人共同して身体に馬乗りになって動かぬよう押え、首を締めて同人を殺害したものであり、助かりたい一念から、被告人らが大金奪取に失敗した後も、もう一度金がとれるよう自分の方から妻に連絡するからと申し出たり、果ては助命を求めて懇願した被害者の恐怖と無念の心情は察するに余りあり、人の心をもつものならばこれ以上殺害行為に及ぶべくもないのに、敢えて冷酷にも殺害に走った被告人らの行為は執拗にして残忍としかいいようがない。殺害後竹割鉈と金切鋸を使用し、両下肢と首を切断し、両下肢をさらに二つに切断し、バラバラに解体したうえこれを遺棄した死体遺棄の罪は、その法定刑自体は重いものではないが、本件においては、もともとこのように解体することを予め計画し殺害行為が行われたものであって、強盗殺人行為と一体として評価されるべき性質のものであり、それは殺害計画の強固さと残虐さを物語るものといわなければならない。

被害者は多額の資産を有し、小倉の繁華街における夜の豪遊ぶりは、ちまたの噂となるほどで、それ故にこそ被告人らの耳目を引き、甘言に乗せられて本件犯行にあい、非業の死をまねいたのであるが、もとより、被告人らやその関係者に対し、うらみを買うような非行を加えたこともなく、その他生命を奪われても仕方がないというような落度があったわけでもない。長年北九州市内で大病院を経営し、地域社会の医療に貢献し、本件犯行時はまだ六一歳で健康であり、医師としての活躍が期待されるとともに、妻子とともに平穏な生活を送っていた者である。人の生命はかけがえのない貴重な存在で、何にもまして尊重されなければならないのに、身勝手な欲望の犠牲にしてその生命を奪った本件犯行の結果は極めて重大といわなければならない。

本件犯行の態様は前記のとおりであり、かつ遺体の発見が遅れ、その一部は未だに発見されていない状況にあるだけに、遺族が受けた衝撃と悲しみはとりわけ深いものがあり、謝罪の意思を伝えようとする被告人らの家族との面会を頑として拒否するとともに、被告人横山から提供された慰謝料もその受領を固く拒み、被告人らの極刑を望んでいるのであって、その心情は痛ましく察するに余りある。被害者が殺害されたことにより病院の経営を継続することができなくなり廃業のやむなきに至ったが、これによる遺族の経済的損失は大きく、また、転院を余儀なくされた入院患者や職を失った医師、看護婦ら従業員の損害も大きいといわねばならない。

犯行後の被告人らの行動をみるに、犯行直後から、犯行に使用したあいくちや、死体解体及び運搬の用具、被害者の着衣や所持品などをあちこちに投棄し、被告人横山の親族らに指示して血で汚れた「ピラニア」店内の絨毬を張り替えさせ、客用椅子を持ち出して焼却させるなど、撤底した罪証隠滅工作を行い、捜査機関の嫌疑に対しては相互に絶対自白をしないことを誓いあっており、さらには、病院の給料日を狙って金員を強奪することを計画したり、あるいは金融機関の現金輸送車を襲ってこれを奪取することを企図し、それぞれその下調べをするなどし、そのうえ、被害者の頭部が未発見であることに乗じ、その存在場所を教えるといって遺族から金員をまきあげることまで相談していることが認められるのであって、そこには人間性の片りんも見出すことができず、倫理感の欠如と犯罪性向の根深さが窺われるのである。逮捕された後も頑強に否認し、遂には自白するに至っているが、被告人両名の供述内容は、犯行の企画から犯行後の行動に至るまで、その全過程において、それを認めることによって自己に不利に作用すると思われる事実については、相互に相被告人が言ったりしたりしたものである旨相反する供述をし、自己の刑責が軽くなるように、相被告人が主導的に犯行を行った旨それぞれ供述し、これらの各供述中には不自然で不合理な部分が多く含まれ、そのいずれか一方のみが真実を語っているとは到底認められず、犯人が自己の犯した罪の責任を軽くしたいと願うことはやむをえないとはいえ、その供述内容を見る限りにおいては、真摯に自己の犯した行為の罪深さを自覚し反省しているとは言いがたいところがある。本件が、猟奇的な強盗殺人、死体遺棄事件であり、被害者が大病院を経営する医師であっただけに、地域住民に与えた不安は大きく、その社会的影響も深刻であったといわなければならない。そして、完全犯罪を狙って敢行された犯罪であるところから、被告人らがもくろんだごとく、もし死体が発見されなかった場合には捜査はさらに難航し、被告人らに対する嫌疑が濃厚であったにしても決め手を欠き、処罰されないまま処理される可能性が全くなかったわけでもなく、もしそのような事態になれば、かかる事犯の伝播性が強いことに徴し、これを真似て類似の犯罪が引きおこされる可能性があり、善良な資産家がいつこのような犯罪にまきこまれるやもしれず、かかる観点からも本件犯行の社会に及ぼす影響を軽視することはできない。

そこで、被告人両名の責任の軽重について検討する。

被告人杉本は、本件犯行を計画した当時、原判示第二の二の新北九州信用金庫曽根支店から、同支店の職員の不正行為を種に金銭を喝取することを企画しその犯行を実行し、またスナック散歩道のホステスと情交関係のあった歯科医師を脅して金員を喝取することを考え、被告人横山を誘ってその準備をしていたもので、かつしばしば夜の繁華街に出てスナック等で遊興にふけり、その日常の生活態度が乱れていたものであり、また被告人横山は、昭和五四年夏ごろまではスナック「ピラニア」の経営に励み、その営業も順調に推移し、ようやく経済的にも時間的にもゆとりができるようになり、そのころから被告人杉本と親しくなり、同被告人が横山より年上で、横山は杉本を兄貴分のようにして交際を重ねるうちに心のゆるみが生じ、営業時間中から店の売上金を持ち出して同人とともに遊興にふけるようになり、この点同被告人から強い影響を受けたことが窺われる。このような被告人らの関係や、犯行に際し用いられた兇器がいずれも被告人杉本の所有物であることや、当初より、同被告人の知り合いの船頭がいる鹿児島方面で死体を投棄する計画がなされていること等を総合すると、本件犯行の主導的側面は、どちらかといえば被告人杉本にあったと認められる。しかしながら、本件犯行に先だち企画された歯科医師からの金銭恐喝の計画について、被告人横山は、被告人杉本がそのような計画を立てていることを知って積極的にこれに加担し、自ら右歯科医師所有の車のタイヤの空気を抜くなどしたうえ脅迫材料となる証拠写真を撮影することに奔走し、右犯行計画を中止した被告人杉本にその実行をせまっていたもので、結局これに代る大金奪取の計画となった本件について、被告人両名のいずれが最初に被害者の名前を言い出したかについてはにわかにこれを断定しがたいものの、すでに昭和五四年一〇月二一日の時点において、被告人横山は、B子に対し前記のとおり本件犯行をほのめかす話をし、その後前記Dコーポにおいて被告人杉本から預り保管していたあいくちを取り出して眺めてみたり、さらには、犯行当日の朝も、命がけの仕事をする、といって覚悟のほどをもらしているのであって、これに現実に行った実行行為を併せて考察すると、被告人横山は単に杉本に追随しいわれるままに行動したというようなものではなく、奪取した金員の半分は自分が取得できるものと考え、これに積極的にかかわっていたといわなければならない。犯行の計画は共同して練り上げ、被害者と知己の関係にあり同人の弱点を知ってこれを誘い出せる立場にあったのは被告人横山であり、脅迫に用いる散弾銃やあいくちは被告人杉本の所有物で同被告人がこれを用意し、解体用具は二人で買い求め、被害者を脅迫して監禁し金員を用意させてこれを取得せんとし、これに失敗して殺害したうえ、死体を搬出してこれを解体し遺棄した、これらすべての行為は二人が共同してしたものであり、被害者に傷害を負わせ、かつ頸部を締め、死亡の直接的原因となる行為をしたのは被告人横山である。大金奪取の目的が失敗に終りこれを断念した時点で、被告人杉本において、ここでやめれば二、三年ですむと思うがどうか、と述べたことが認められるものの、このことから同被告人が殺害行為を中止して被害者を帰すことを真摯な気持で考えていたとは必ずしも言い難いのであって、被告人横山が予定どおり殺害する意思であることを知ってからは、それ以上ためらうことなく二人して殺害行為に及んでいるのであり、二人のいずれかが真摯に被害者の生命を助けるつもりでその後の計画の実行を阻止せんとしたのであれば、殺害行為の実行はできなかったものと考えられるのであって、二人してそのような行為に出なかったことはまことに遺憾なことであったといわなければならない。以上を考察するに、本件犯行は被告人両名が一体となって、相互にその手足となって助けあい、計画に基づいて犯行を実行したのであって、そのどちらか一方が欠けても実行することはできなかったものと考えられ、その責任に軽重をつけることはできない。

ここで被告人らにとって有利な情状について検討してみるに、まず、被告人杉本は、幼なくして病弱の父と別れて生活し、困窮の中に料理店の仲居や鮮魚店の店員として働いていた母の手一つで育てられ、幼少年期に基本的な生活習慣ないし社会性が十分かん養されないまま成長し、高校生時代に喧嘩や恐喝事件をおこしたことが窺われるものの、成人した後は酔ったあげく他人に暴行を加え罰金刑に処せられた以外は前科や前歴がなく、前記新北九州信用金庫曽根支店に対する恐喝事件をおこすまで特段の問題行動も見られないまま妻と二人で平穏な生活を送っていたものであり、性格的には激しい気性をもつ反面、目が不自由で一人暮しの母親に心を配る母思いの子であり、別れた父や兄弟あるいは甥などに対してもやさしく思いやる一面もあり、またかつて生活に困ったホステスに授助の手を差しのべたり、海釣りに同行した釣客が波にさらわれて溺れかけた際、これを救助したりした善行もあった。さらに原審の公判中から自己の犯した罪の深さを自覚し、読経と写経に励み被害者の冥福を祈る毎日を送っている。

被告人横山は、両親が鮮魚店の経営をやめた後父が会社勤めをし、母が鮮魚の行商をして共に働き、家計が裕福でなかったところから、小学生のころから母の手伝をし、中学高校時代にはアルバイトをするなどして健気に成長し、叔父が経営する会社に就職したものの企業縮少で退職し、以後スナックやクラブ等のバーテンや店長などをした後、その経験を生かしてスナック「ピラニア」を経営するようになり、本件犯行直前の昭和五四年夏ごろまでは店の業績をあげるため鋭意努力を重ね、この間妻と結婚して一子をもうけ、両親とも同居し妻もスナックで働き、これら家族とともに円満かつ平穏にすごしていた。生育過程の中で、社会性の発達に多少のひずみが窺えないわけではないが、特段問題行動をおこすこともなく成人し、家族との結合感は強く、家族や妹らに対するやさしさおもいやりは深く、女性関係についてルーズな面がないわけではないが、前科前歴もなく、平凡な生活を送っていたのであって、本件犯行に至る前には、少くとも表面から見るかぎり問題行動は見られず、被告人横山が本件犯行にはしる契機となったのは被告人杉本と親交を結んだことによるところが大きいと考えられる。そして原審公判中から自己の罪について深く反省し、日夜読経に励げみ被害者の冥福を祈る日を送っており、さらに、同被告人の店を処分してつくった金三〇〇万円を遺族に対する慰謝料に代え、財団法人犯罪被害救援基金に寄託し贖罪の意を表している。

ところで、被告人横山が本件犯行にはしった契機が、被告人杉本と親交を結んだことによるところが大きいと考えられるところ、それが被告人杉本の影響と被告人横山の他から影響を受けやすい性格的欠陥のみによってもたらされたものと考えるのは相当でない。けだし、本件犯行は刑法犯中最も重い罪とされる強盗殺人罪であり、しかも当初の計画の中に被害者の殺害が予定されている最も兇悪な事案であって、犯行当時すでに二七歳になり事柄の善悪の判断が十分できる年令に達していたのであるから、かかる犯行を行う意思決定をしたことについて、単に他からの影響という面だけから説明することは到底できないものであり、基本的には、被告人横山の価値観の中に利己的欲望のために他人の生命をまっ殺することをも肯定するものがあり犯罪性向が根深く存在していたからにほかならないのであって、従前の生活歴の中に犯罪等の問題行動がなかったことなどから、それが被告人の本来の人格に根ざすものではなく、一時的に変貌した人格による一過性の犯罪にすぎないと見るのは相当ではない。

以上のごとく量刑事情につき検討を加えて来たが、近年強盗殺人事件など死刑の適用が問題とされる事案において、殺害された被害者が一人であった場合、その適用が従前に比して少くなっていることは所論のとおりである。しかし、だからといって被害者が一人の場合、常に極刑を適用してはならないというものでないことは明らかである。そして、人の人格改善の可能性を判断の対象として、その判断基準を定めることは極めて困難であり、犯行の罪質や動機態様その他の量刑事情を捨象して、ただ犯人の人格の改善可能性があるかぎり極刑を適用してはならないと考えるのもまた相当ではなく、量刑判断上考慮すべき諸事情を総合して検討し、なお罪刑の均衡並びに一般予防の見地から極刑をもってのぞむのもやむを得ないと認められる場合には、これを適用することも許されるものといわなければならない。

そして前記の量刑事情を総合すると被告人らの罪責は誠に重大であって、前記のごとき被告人らにとって有利と考えられる事情及び記録にあらわれた被告人らの年令、経歴、境遇並びに犯罪後の情状などの諸般の事情を十分斟酌して検討しても、被告人らを死刑に処した原判決の量刑はまことにやむを得ないものと認められ、これが重すぎて不当であるとは言い難い。結局この点の各論旨も理由がない。

よって、刑訴法三九六条に則り本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 緒方誠哉 裁判官 前田一昭 仲家暢彦)

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